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ダムニュースNo.278(平成19年1月)

漆沢ダムの分水嶺

〜漆沢古道〜最上海道(軽井沢越え)〜

-宮城県-

漆沢ダムは,仙台から北西約40km,奥羽山系船形連峰を源に仙台湾に注ぐ1級河川鳴瀬川の上流加美郡加美町(旧小野田町)漆沢地区に昭和56年3月に完成した宮城県営の多目的ダム(F・N・W・I・P)である。総貯水容量1,800万m3,堤体積220万m3,堤長308m,堤高80mの中央コア型ロックフィルダムである。

漆沢ダムと峰一つ北側に今後予定されている筒砂子ダムの分水嶺が,古道最上海道(軽井沢越え)である。

 調査記述によると,この古道は天平9(737)年,陸奥国按察使兼鎮守府将軍大野東人が開き,多賀城を発して出羽国に入ったという伝えがある。

最上への道は近世以前に軍路として,交易路として,あるいは信仰路として開かれた。近世期最上街(海)道として賑わいを見せたこの道は仙台藩の交通制度の中で整備された。仙台城下北目町の1里塚から数えて,15里塚が漆沢口に17里塚が軽井沢にそれぞれ設置された。漆沢には軽井沢峠越えの宿場が設置された。(当時,宿は長さ3丁,人頭28人の宿場)

漆沢宿から領域までは2里18丁40間(約9.8km),旧道は,山神神社の門前から小沢に沿って峰をめざして急な登りにかかり旧道随一の難所である。

その先,尾根づたいにほぼ平坦にブナの回廊を西に向かい明月峠,明月清水を経て軽井沢番所に着く。番所の設置は,寛永16(1639)年に境町に取り立てられ5人が派遣され,寛永18(1641)年に「境目定代」として設置され,同時に「駅場」が建てられ,明暦2(1656)年に11 人増員された。

「御境目〆り」という軍事・治安的な番所(関所)機能のほかに「駅場」として「往還検断役」がおかれ,抜荷,抜道,の取締り,馬次などの業務をも備えた。番所跡は礎石・石垣・井戸・土間最上海道(その2)跡,足軽屋敷・墓地・神社跡が確認されている。軽井沢番所から領域を経て出羽領上ノ畑番所まで1里5丁40 間(約4.6km),その先野辺沢銀山へ通じている。破線(最上海道その2参照)で記述されている。

文中の調査記述は,宮城県教育委員会調査資料「歴史の道調査報告書,最上海道(軽井沢越え)」から抜粋。

最上海道(軽井沢越え)に逸話あり!

奥の細道で知られる松尾芭蕉に,一緒に旅した弟子曽良の日記によると,始めの予定ではこの漆沢の地を経由して軽井沢・上ノ畑・尾花沢へ旅するはずだったが,「道が遠く,難所がある」を聞き予定を変更して中山越出羽街道(現国道47 号)を旅してしまい現代にその細道を閉ざしてしまった。大変口惜しい出来事である。

最上海道(その1)

初冬の漆沢ダム
分水嶺の山並み(最上海道)

最上海道(その2)

これから,今ある漆沢ダムと今後建設が予定されている筒砂子ダムをきっかけに,この由緒ある漆沢の古道「最上海道」筋をPR・整備して,漆沢・大崎地区と山形・尾花沢地区の交流を図って地域活性化の起爆材としたいものです。

(大崎地方ダム総合事務所・漆沢ダム管理事務所)

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